捜想記(そうそうき) 




−1−
 仕事を終わらせて社に戻ると、そこにはうずくまるように座っている少女がいた。
 年の頃は十一か十二くらい。服装などからはいたって普通の村娘という感じなのだが、その少女が醸し出す雰囲気はどことなく普通とはいえないものがあった。
 どこの娘だろうか?
 じっと見つめていると少女は何も言わずに頭を下げた。
「なんだ?」
 意味が判らず聞いてみたが少女は黙り込んだままで何も喋ろうとはしない。
「家はどこにあるんだ? もう遅い、送ってやる」
 このまま少女が話し始めるのを待っていても埒があかない。さっさと家に帰してしまうのがいいに違いない。仕事で疲れているのだ、いちいち、こんな子供の相手などしていられないというのが本音だ。
 しかし、少女は首を横に振るだけで何も答えない。
「家出か?」
 何も言わないということはそれなりに言えない事情でもあるのかと思ったが、適当に言ったことが当たるはずもなく、少女は再び首を振った。
「じゃあ家はどこにあるんだ?」
いい加減にして欲しい。何を聞いてもだんまりではどうすることも出来ない。もう、放っておこうかと思ったところでようやく少女が口を開いた。
「・・・・・・ここ」
 初めて少女が発した言葉はひどく短いものだった。
 しかし、おかしい。
 この社に住んでいるのは自分ひとりだ。この社を譲り受ける前は社主が居たのだがもう亡くなっているし、その社主に子供が居たという話も聞いたことはない。
 嘘を言うような娘には見えないし本当の事を確認する術がない以上、無下にするわけにはいけない。
「もういい、しばらく置いてやる。だが、ただじゃない。何かできることはあるか?」
「・・・・・・料理とか」
 相変わらず短い言葉だが、まあ色々できるらしい。
「名前はなんと言う?」
「・・・・・・華陽」
 その名前はひどく懐かしい響きだった。
 

とりあえず作らせてみた夕食は壮絶な不味さだった。なまじ見た目がまともな分、受けるショックは一際大きかった。
 まあ、材料は全て食べられるもので作られているはずなので、食べて死ぬというようなこともないだろう。
 我慢して食事を続けることにした。
 しかし、向かいに座っている華陽の目は、はっきりとこちらに不満を訴えている。
「・・・・・・おいしくない」
 ―――言葉でも訴えてきた。
 自分で作っておいて、不味いという不満をこちらに向けるのはお門違いというものだ。
「お前が作ったものだ。俺に文句を言っても仕方が無い」
 これなら自分で作るべきだった。楽をしようとした罰かもしれない。
「・・・・・・でも食べてる」
 どうやら華陽は料理の味に文句があるのではなく、不味い料理を文句も言わず食べている俺が不思議だったようだ。不味いなら食べなければいいのにと言いたげな顔である。
「食べ物を粗末にするわけにはいかん。この大根だって人参だって村の人たちが分けてくれた物だ」
「・・・・・・そう」
 一言、そう言うと華陽は再び箸を動かし始めた。
 納得したのかどうかはわからないが、それから華陽は食事が終わるまで一言も喋らなかった。
 しかし、表情がまったく変わらないので華陽の食べているものだけ味がまともなんじゃないかと思えてならない。
「・・・・・・あっ」
 華陽の皿から少し拝借して食べてみたが、俺の食べているものと全く味はかわらなかった。
 どうやら杞憂だったらしい。 


 華陽はわりと器用で、教えればゆっくりとだが大抵のことはできるようになっていった。
 ただ、少し常識に欠けているところあり、飲みものを頼んだとき醤油を出され危うく飲みそうなになったときは、正直参った。
 そういうことに対して一つ一つ教えていかなければならないのが、手間といえば手間だ。
 だが、その甲斐あって今では料理だってきちんとしたものが作れるようになっていた。問題があるとすれば、言葉の少なさと表情の乏しさだと言えるだろう。
 そんな華陽にも好奇心と言うものは存在しているらしく、こちらが教えることはしっかり聞いているし、倉にある社主が残した書物を掃除のついでに引っ張り出してきては夜中まで読み耽っていることもしばしある。中でも一番気に入って始終、傍に置いているのがどこから見つけてきたのか―――赤い手毬だった。
 もう無くしてしまったものだとばかり思っていたが、これも掃除のついでに見つけたらしい。どうやら、俺が仕事に行っている間はこれで遊んでいるらしいが、あの無表情さで手毬をついている姿を想像するとほほ笑ましいというのを通り越して怖いものがあるのだが・・・・・・かと言って楽しそうに遊んでいる姿がまったく想像できないというのも問題があるといえるのではないだろうか。
 このときは既に、華陽に家の事を聞くことはしなくなっていた。


−2−
 ―――穴というものがある。
 一年程前から各地で出現しだしたもので、そこから正体不明の奇怪な生き物が現れ近隣の人々を困らせていた。人々はそれを奇妖と呼び一日で多いときには二十匹ほど現れ、少ないときには全く出でこないという日もある。
 それらは例外なく人を襲い、田畑を荒らす。人に害を為すなら退治するのが道理と言うものだ。

 一年前、俺が流れ着いたこの村は運悪く穴の近くにあった。正確には穴が近くに出現したと言うべきだろう。そんな苦しい状況の中、この村の人たちは俺に住む場所と食べ物を提供してくれた。そのお礼と言うのも変だが、俺は仕事としてこの奇妖を狩ることを選んだ。
 成り行き上、そうなったと言うほうが正しいのかもしれない。
 奇妖が人を襲う以上、村人たちは生活区域を穴から遠ざけるのは必然だった。元々、土地が豊かではないこの村でそうすることは村人たちには過酷なことだった。
 奇妖には知性というものが全く無く、危険さも野生の動物とさして変わらないという程度で、近づかなければ実害は無い。
 ただ、放っておけば際限なく現れる奇妖は、いつかは村を埋め尽くしてしまう。
 しかも、この奇妖は普通の武器の類は全く通用せず、ある種の特別な力でしか退治できないと言うから性質が悪い。
 だから、大きな街ではそういった者たちを集め、奇妖の掃討部隊を用意し事にあたらせているらしいが、この片田舎ではそうはいかないというのが実情だった。
 たまたま、この村に流れ着いた俺はその奇妖を狩れる力を持っていた。あることがきっかけで心身ともに疲れ、いっそ野たれ死んだほうがましだと思っていた俺だが、まだ人のために働こうという気があったらしい。今では決まった時間に奇妖の穴と対峙するのが日課となっていた。


「これが練気武具ですか? 初めて見ましたよ」
 村の青年が俺の手にある光の剣を見て感嘆の声を漏らした。それもそうだろう。この能力を有している人間は数少ない。
 ―――練気武具
 人の心より生み出される精神の刃を総称してこう呼んでいる。人の心の現れであるそれは通常折れることはなく、折れるということは術者の精神の崩壊を意味している。
 一部の人間にのみ与えられたその力は剣や槍など様々な形状が存在し、ほとんどはある種の媒体を介してのみ発現する。
 俺はその例に漏れ、何の媒体を介すことなく具現化することができる。
「つまらない能力さ」
 本当につまらない能力だ。
 戦に利用され、ただ人を傷つけるために振るわれる力。
 こんなものを持っていても大事なもの一つ守ることも出来なかった。
「そうですか? 都では『神剣使い』なんて呼ばれて、軍の偉いさんに取り立てられたり、奇妖の討伐でえらく稼げるそうじゃないですか? 先生だってこんな田舎じゃなくて都のほうに行けばいい暮らしができるんじゃないですか?」
 青年は一度、奇妖の穴のほうを一瞥して村としては先生にいてもらったほうが助かるんですけどね、と付け加えた。
「ところで先生? さっき先生のところに野菜を届けたんですけど社にいた女の子は誰なんですか?」
「・・・・・・ただの居候だ」
 その言葉以外で、俺と華陽の関係を表すのに相応しいものは、この時には存在していなかった。


 切りつけた衝撃が腕に伝わる。
 穴から出てきた奇妖はそのまま真っ二つになり姿が掻き消える。
 血が飛び散ることも、肉片が残ることもない。そこに奇妖が存在していた痕跡など全く残らない。後始末という点では楽なものだ。
 歩きにくい地面を横断して、村の中へと戻る。この荒れたところも、元は畑であったところだ。
 奇妖の穴さえなければ、また時間をかけてもとの畑に戻せるだろう。
 そんなことを考えていると、酒場の女に声をかけられた。
「先生。最近、全然来てくれないじゃないですか。他に女でもつくったんじゃないでしょうね」
 半ば、無理やりに酒場に引き込み、酒を突きつけて彼女はそう言った。元々、彼女とはそんな関係ではないはずだが、何故こんな言われ方をされないといけないのだろうかと、時々思う。
 確かに酒場にはほとんど寄っていない。
 いくら、金は要らないと言われても、気が引けるものがあるし酒はあまり飲まない性質だ。
「他に女をつくたって・・・・・・そう見えるか? どこから見ても女っ気なんてないだろう」
 彼女の冗談に少し付き合ってそんなことを言ってみた。
「あら、でも小さい奥さんができたって村中の噂よ」
「・・・・・・!!」
 思わず飲んでいた酒を噴き出しそうになった。
 一体、どこをどうすれば、そういう誤解が広まるというのだろうか。
「そういえば、先生はこの噂知ってる?」
「何がだ?」
「隣国の領主が攻めてくるらしいのよ」
 またとんでもない話が出るのではないかと内心、警戒していたが彼女の口から出た言葉は全く予想外のものだった。
 俺は心の中で安堵の息を漏らし、空になった杯に酒を注ごうとする彼女の手を制して俺は答えた。
「しかし、この村にはほとんど関係のないことだろう? 上が変わるか、変わらないかの話だ。進軍ルートからだって大幅に外れている。この村を通って攻めるとなると補給線の確保に手間がかかるだけで利点が見当たらない」
「それがそうでもないらしいわよ。隣の領主様の悪政は有名だし、それにこの村の秘宝を狙っているっていう話まであるのよ」
「秘宝?」
「あら先生知らなかったの? この村にはね、願いを何でも叶えてくれる秘宝があるらしいのよ。でも何処にあるかは誰も知らないの」
「・・・・・・ふっ」
 俺は笑った。
 どこにでもある伝説というやつだ。
 そんな眉唾な話で仮にも一国の領主が補給線の危険を冒しての進軍などするわけがない。
 もし、するというならそれはただの大馬鹿者だ。
 まあ、あくまでどれも噂なんだけどね、と彼女は締め括って席を立った。
 そんな彼女に別れの挨拶を告げ―――彼女はもっとゆっくりしていけと言うのだが―――酒場を後にした。

 
−3−
 寂しくも騒がしい村の中を抜け社へと戻った。
 季節はじきに冬になろうとしていた。
 噂が本当になったらしく、隣国の軍は十中八九、この村へ進軍しているらしい。
 どうやら、大馬鹿者だったようだ。
 しかし、こんなところで隣国の領主の悪口を言っててもどうしようもない。もうすでに大半の村人は村から逃げ出していた。
 残っているのはどこにも頼るアテのない者たちばかりだ。
 誰もがもしかしたらこの村には攻めてこないんじゃないかと、そんな薄い希望を抱き生活している。
 不安と希望。
 静寂と喧騒。
 それら全てを内包した村の様相はある種の脆さを感じてしまう。
「・・・・・・おかえりなさい」
 華陽はまだ社にいた。
 何も答えず用意されていた食事に手をつけようとすると、いつも通り向かいに座った華陽が物言いたげな目でこちらを見ていた。
「なんだ?」
 こういう場合、華陽はこちらが聞くまで何も喋ろうとはしない。ただ、黙ってこちらを見続けるだけだ。
 このまま黙殺していても良かったのだが、食事中ずっと見られているというのも落ち着かない。
「・・・・・・村の様子が変」
 どうやら、社の外に出なくても村の異常さは十分に伝わってくるらしい。華陽はそんなことを口にした。
「戦が始まった。この村にも隣国の軍が向かっているらしい。だから村総出で引越しだな。行くアテの決まった奴らから村を出ている」
「・・・・・・逃げないの?」
「逃げられるなら、とっくに逃げてるさ。頼るあてもなく村を出たところで野垂れ死ぬのが関の山だ」
「・・・・・・そう」
 会話はそこで終わった。


「たった一人でこの兵力と戦うつもりか」
 男は笑った。嫌な笑い方だ。高揚する意識の中でそういう感じ方がまだできる自分に俺は笑った。
「気でも狂ったか? おい、相手をしてやれ」
 大願を果たす前の余裕か、男はどうやら俺と遊ぶことに決めたようだ。すぐ後ろに控えていた男にそう促した。
 ありがたい。
 一番恐れていたのは、適当数を相手にしている間に他に脇を抜かれることだ。さすがに数千人を押しとどめることは不可能である   。
 だが、余興とでも思ったのだろう男はそのまま兵を待機させ観戦を決めこむようだ。
 男に促された一人の男が馬から下り、俺の前に進み出る。
 その手に練気媒体としての刀身のない柄を持っていることから、神剣使いだということがわかる。
 だがすぐに相手をするわけにはいかない敵の神剣使いは残らずひきづり出さないといけないのだ。
 俺の前に対峙した男は鷹揚に練気媒体から精神の刃を発動させ、俺に切りかかる。田舎の村人一人など楽にやれると思っているのだろう、真剣味の足りない斬撃だ。
 余裕でかわせる。だが余裕など見せてやらない。わざと慌てふためくようによける。
 敵に愉絶を与えるために。
 俺の狙いどおり敵兵の中から笑い声といつまでも俺を仕留められない神剣使いに対する揶揄が飛び交う。
 そのうち、業を煮やしたのか二人の男が群れの中から抜け出してきて俺の退路を塞ぐように位置した。その手には練気媒体が握られている。
 ―――三人か。
 この兵力で三人の神剣使いは多すぎる方だ十中八九これ以上はいないだろう。
 好機は一瞬だ。
 三人の神剣使いが同時に攻撃する瞬間。俺は一気に練気武具を発動させた。三人の動きが一瞬止まったのを見逃さず、そのまま同時に切り裂いた。
 驚く暇すら与えてやらない。
 そのまま目標に向かって駆ける。
 馬上でまだ状況を把握できずに呆然としている男に。
 敵兵が慌てて矢を俺に向かって放つ。
「くぅっ」
 左肩に一本刺さった。
 だが、俺は動きを緩めない。
 全ての矢をかわせるわけがないことはわかっている。致命傷になる矢だけを刃ではじく。目標の間にある障害物を切り裂きながら。
 敵の混乱は極地に達していた。
 普通、この距離からの矢の攻撃などないはずなのだが、味方に当たるのもお構いなしに放ってくる。それが厄介だった。
「撃て! 撃てぇぇぇ!!」
 目標はもう目の前だ。
 半狂乱になって兵を指揮している。
 耳障りな叫び声が鳴り響く。
 そんなことなどお構いなしにその叫んでいる男の乗っている馬の足を切り裂く。
 そして馬から落とされたその男の前で刃を掲げた。
 どうして自分がこのような目にといった表情だ。初めて自分の命が侵される側にたって感じる恐怖の心。
 その瞳には命は助けてくれと言う懇願の意がありありと見て取れる。
 しかし、俺は躊躇うことなくそれに向けて刃を振り下ろした。

 
 傾きかけた日が平野を染めている中、砂塵を巻き上げ村を襲おうとした脅威は去っていった。

 ―――終わった。

 右手に握った剣は、今もまだ光り輝いている。意識が薄れかかってきた。体には無数の矢が刺さっている。
 傷ついた体はもう限界まで来ていた。横たわったまま、指先一つ動かすのも苦痛だった。
 空は何処までも広がっている。
 荒れた大地の寝心地は最悪だ。こんなところではゆっくり休めないだろう。
 しかしそんな心配をする必要もない。永い時をかけ、いずれはこの大地と一つになるのだから。
 だが、何も怖くはなかった。
 きっと果たせなかったことを、やり遂げたからだろう。
 立ち上がって、社が見えるように腰を下ろした。
 目蓋を閉じて眠ろうとすると、耳元で声がした。
「これで満足した?」
「ああ」
「もういいの?」
「そうだな。やるだけやった。もう許してくれるだろう」
「待っている人がいるのに?」
 それは―――――
 薄れかかった意識の中でそれだけが気懸かりとなっていた。

 ―――三年前だった
 俺はとある国の武将だった。あの時は戦って国を豊かにすることが家族を守ることだと思っていた。
 戦って、戦って、戦って、
 戦っている相手にも守るべき家族をいたのだとわかったのは、本国が留守中に攻められ、家族を失ったときだった。
 急いで軍を引き返し、国を取り戻したものの、その町並みは瓦礫の山となっており見るべくもなかった。
 兵士たちは自分の家を心配し、妻や子の名前を叫びながら各々の家へと走っていった。俺もその中の一人だった。
 以前の面影などない街を走り、見つけたのは他と変わらず瓦礫と化した我が家と、もう動かくなった娘の姿だった。
 妻は元々体が弱く、娘を産むことに耐え切れず命を落としていた。死の際まで妻は娘の幸せを願っていた。
 だから、そのために頑張ってきたつもりだった。
 しかし、それは本当につもりだけだったらしい。
 何のための戦いだったのだろう。
 俺は途方にくれた。生きる気力を失い、あてのない旅に出た。
 いや、あれは旅と呼べるものではなかった。ただ、無意味に歩いているだけ、もしかしたら自分の死に場所を探していたのかもしれない。
 歩きながら、俺は何度も娘の名前を呟いていた。
 華陽と。


−4−
「・・・・・・どうしても行くの」
「ああ」
 結局、俺は村を出ることをしなかった。
 それどころか、もう間近に迫っている隣国の軍隊と戦おうとしている。
 たった一人で。
 馬鹿げたことを、と自分でも思ってしまう。
 華陽が引き止めるのも無理はない。
「・・・・・・戦うの?」
「だろうな。引いて下さいと頼んで引いてくれるような相手じゃないからな」
「・・・・・・勝てないよ」
「わかっているさ。だが、奴等もここに来るまでに落とした砦や城に兵を配備しなくちゃならん。片田舎の村の制圧だと高をくくって兵数は極少数らしい。それなら領主だけを狙うこともできるし、領主さえ討てばこの村を攻める理由などなくなる」
 努めて陽気に答えたものの、それでも数千を超える兵数だ。本当は勝算などというものは皆無に等しかった。
 だから・・・・・・
「お前は逃げろ。奴等の目的はお前なのだから」
「気付いていたの?」
 俺の言葉に華陽は反論しなかった。
 そう、華陽こそが奴等の狙いである村の秘宝だったのだ。
 願いを叶えてくれる秘宝は何の因果か俺の願いを叶えてくれたらしい。
 叶えられることのなかった父娘の生活。
 すでに諦めていたつもりだったが心の奥ではまだ諦めていなかったようだ。
「どうして、俺だったんだ?」
 最後にと思い俺は華陽に訊いた。
 俺なんかより、もっと強く願いを持っていたやつもいただろう。
「・・・・・・あなたが一番綺麗だったから」
 心の色がと華陽は言う。
 あなたの願いを叶えれば人の心がわかるかもしれないと思った、と華陽は付け加えた。なんのことはない、願いを叶えてくれる秘宝も人の心を知りたいという願いを持っていたらしい。
 とんだ勘違いだ。
「今度は俺なんかよりもっといい夢を持っているやつの願いを叶えてやれよ。そのほうが有意義というものだ」
 しかし、華陽はふるふると首を横に振るだけだった。
「・・・・・・私はここが気に入ったんです。それに、もう他に行くところはありません」
 それは、自分は何処にも行かないという華陽の意思表示だった。
「馬鹿か、お前。自分が狙われているって自覚はあるのか?」
「・・・・・・仕方がない。だって、私はあなたの娘だから」
 瞳に涙を浮かべて、華陽は満足そうに言った。
 華陽の心はすでに決まっているのだ。
 それに、止めようとしている華陽を振り払って、無謀な戦いに行こうとしている俺の娘だと言う。
 自分は父に似て頑固なのだと・・・・・・
「・・・・・・それは仕方がないな」
 そう言って俺と華陽は笑いあった。それは華陽が初めて見せた笑顔だった。
 それから、俺は華陽にたくさんのことを話した。
 華陽の母のこと。
 俺の昔。
 華陽はただ黙ってその話を聞いていた。

 そして、時間がきた。
 俺は村を、華陽を守るために立ち上がった。
「いいか、ここを動くな。俺の願いにはお前を守るということまで含まれているのだから」
 社を出るとき最後に振り向いてそう言うと、華陽は穏やかな顔をしてはい、と答えた。
 それを見届けて、俺は社を後にした。

 もう二度と、想いを無くさぬ為に。